山口県岩国市にある 日本酒 ”獺祭”(だっさい) で有名な旭酒造さんが、
この度、アメリカで「獺祭BLUE」という新たな日本酒の製造に成功しました。
これにより、アメリカでの本格的デビューとなります。
おそらく、外国人の誰もが好むような味わいの日本酒になっているのではないでしょうか…。
どんな日本酒になっているのか、とても気になりますよね…。
「獺祭」だっさい の名前の由来
旭酒造株式会社 酔うため売るための酒ではなく味わう酒を求めて
〒742-0422 山口県岩国市周東町獺越2167-4
旭酒造さんの住所でもある獺越(おそごえ)の文字の一文字 ”獺”(だつ)を取って ”獺祭”(だっさい) と名前をつけたのだそうです。
そして、この ”獺祭”(だっさい) の言葉の意味については、司馬遼太郎の歴史小説「坂の上の雲」の一節に登場する中で
“捕らえた魚を岸に並べるカワウソ(=獺)の様子が、まるで祭りをしているように見える”という元々の意味が転じて(獺=カワウソ)+(祭)から出来た言葉のようです。
”獺祭”(だっさい) の言葉から思い起こされるのは、明治の日本文学に革命を起こしたといわれる正岡子規が、自らを獺祭書屋主人と号した事です。
その言葉の由来は、正岡子規が 詩文を作る時に 多くの参考書を広げ散らかしているので、その様子が まるで ”獺祭”(だっさい) に似ていることから、 自らを ”獺祭書屋主人”と表現したものです。
「酒造りは夢創り、拓こう日本酒新時代」をキャッチフレーズに伝統とか手造りという言葉に安住することなく、変革と革新の中からより優れた酒を創り出そうとする旭酒造の酒名に「獺祭」だっさいと命名した由来は、正岡子規の影響が大きかったようです。
そういえば会長さんは、松山大学出身なんですよね。松山は、正岡子規 出生の地でもあります。何か、この酒名には 色んな 想いが詰まっているように感じます。
そんな色んな想いが詰まっているなんて、 何とも風情のある酒名ですよね!
風情のある酒名だと知って飲む ”獺祭”(だっさい) と、知らないで飲む ”獺祭”(だっさい) とでは、趣きが違ってくるかもしれませんよね…。
そして今回、旭酒造さんは アメリカにおいても日本酒の製造に成功され、海外でも日本酒の本格的デビューを果たされました。
その日本酒の名前は「獺祭BLUE」
名前は「青は藍より出でて藍より青し」という言葉から、いまの「獺祭」だっさい を超えてほしいという願いが込められているようです。
ご夫婦で、アメリカに移住されて取り組まれているのですから その思いの 大きさは およそ推測できます。
桜井 博志会長について
こちらの お写真は、旭酒造3代目蔵元・桜井 博志(さくらい ひろし)会長です。
桜井 博志会長は、1950年 山口県岩国市周東町獺越に生まれています。
松山商科大学 卒業(現在の松山大学)
今年(2023年)の誕生日で、73歳になられます。
とても若々しく、素敵な笑顔をされていますね。お人柄が、にじみ出ています。
旭酒造が軌道に乗るまでの道のりは、決して平坦な道のりではなかったようです。
旭酒造を引き継いだ頃は、将来が全く見えなかったそうです。
「子供を真ん中に夫婦で川の字で寝ていて、長男の顔を見ながらよく思いました。せめて大学を卒業するくらいまで、この会社が持ってくれればいいなと…。」
酒蔵の要となる杜氏が辞められた後では、自らが 酒蔵で酒造りに専念されたそうです。すべての工程をデータ化して、試行錯誤で酒造りに取り組んだ結果、手作業の必要性を論理的に学ばれたようです。
こうして「獺祭」だっさい は、会長の気持ちを そのままに詰めた【至極の一品】として生まれたのです。
会長さんのお人柄を 映し出している出来事の中に、 こんなエピソードがあります。
「獺祭BLUE」が完成するまでには、何度も失敗も繰り返されたようです。その損失額は、なんと4億円にもなると言われています。
そんな状況の中でも会長さんは、「酒造りをしている者に、責任を取れと言っても、それはダメだよ。責任を取らないといけないのは経営者の方だよ。」と、自らの失敗談を交えて笑みを浮かべながら話されたというのです。
関係者でなくても、思わず感動の涙が出てしまうくらいですから、会長さんの下で酒造りをしている者であれば 会長さんの気持ちに何としてでも応えたい!…との思いで、涙が溢れ出てくるのではないでしょうか…。
桜井 一宏社長について
こちらの お写真は、旭酒造4代目蔵元・桜井 一宏(さくらい かずひろ)社長です。
桜井 博志会長さんの ご長男です。とても、さわやかな印象の方ですね。
桜井 一宏社長は、1976年11月4日(46歳・2023年現在) 山口県岩国市周東町獺越に生まれています。
早稲田大学社会科学部 卒業。
卒業後は、酒造とは関係ない東京のメーカーに勤務。
「獺祭」だっさい のブランドを引き継ぐことには、かなりの重圧があったのではないでしょうか…。
会長さんの方からではなく、社長さん自ら 父親である会長さんに、旭酒造を引き継ぎたいという気持ちを話されたそうです。
父親である会長さんの背中を、小さい頃から間近で ずっと見てきた息子さんからの言葉だったのですから、会長さんの お気持ちを察するに、今までの ご苦労が いっぺんに消えてしまうほどの ”喜び”だったように思われます。
お酒も生き物です。
おそらく、お二人の日本酒に対する温かい想いは、日本酒【獺祭・だっさい】、【獺祭BLUE】共に 伝わっているのではないでしょうか…。
おわりに
最後までお読みいただきありがとうございました。
コメント