今現在、全身の筋力が衰えていく進行性の難病と闘っている山本栞奈(かんな)さん。
栞奈(かんな)さんは、今 私たちに、辛い時や寂しい時いつでも 一人ぼっちじゃないよ…みんな同じだよ、一緒に生きて行こうね。と ”希望の輪” を届けてくれているのだと思います。
そんな 栞奈(かんな)さんの熱い思いを胸において、
今 、栞奈(かんな)さんが私たちに一番に伝えたい思いとは…について調べて見ることにしました。
山本栞奈(かんな)さんについて
山本栞奈(かんな)さんは1997年、兵庫県で生まれました。
今年(2023年)の誕生日がきたら、26歳になるんですね。
両親や親戚と一緒に暮らすことが難しく、5歳の時から高校を卒業するまで熊本県内の児童養護施設で育ってきたという栞奈(かんな)さん。
そんな境遇の中でも、「施設の友達と関わることが本当に楽しかったです。」と話す栞奈(かんな)さんは この頃から、精神的にも強かったのを感じさせられます。
そんな栞奈(かんな)さんでも多感な年頃になってくると、自分の置かれた状況が少しずつ分かるようになり、親がいないという ”恥ずかしさ” を感じるようになってきたといいます。
そういう時には、どこかにいる両親が ”私のことを元気かな” と、思い出してくれればいいな…と思って、自分で自分のことを励ましていたそうです。
高校卒業後は陸上自衛隊に入隊して、自衛官として仕事をしながら看護師を目指していたという栞奈(かんな)さん。
実は この頃から、徐々に自分の体に異変を感じるようになってきたようです。
病院に行ってみると、医師から 全身の筋力が徐々に弱まっていく病気だと診断されたのです。
高校時代には、吹奏楽部と陸上部をかけもちしていたくらい元気だった事を考えると、診断された当初は、「まさか…」と信じられない気持ちが強かったのではないでしょうか…。
が、その2年後には 入退院を繰り返した後に、自衛隊を除隊しています。それほどにまで進行している自分の身体の異変を受け入れるしかなかった時の栞奈(かんな)さんの気持ちを思うと、思わず 目頭が熱くなってきます。
難病と闘う栞奈(かんな)さん
5年程前から 起き上がることも、自分で食事をすることもできず、呼吸器を付けた状態で ほとんどベッドの上で過ごしているという栞奈(かんな)さん。
難病と診断されても、手助けしてくれる親戚や家族はいないため、病院や障がい者施設を転々としていた日々を送っていました。
それでも、前向きな性格の 栞奈(かんな)さんは今現在、福祉の相談などを受ける職業を目指すために ヘルパーさんの力を借りながら福祉タクシーで、週に2回 学校に通っています。
そこには、福祉の職業を目指そうと思った ”きっかけ” となる出会いがあったのです。
その方は、車椅子の力を借りながら 福祉の仕事をされている相談支援専門員さんです。
その相談支援専門員との出会いによって、”私にも何か出来る事があるかも知れない…” と、そう思えるようになってきたのです。
そして、おととし(2021年)栞奈さんは熊本市内にある大学の社会福祉学部に見事に合格。
ついに、栞奈(かんな)さんの強い思いが現実となったのです。
1年生の時にはオンラインでの講義を受けて、試験の時には、口頭での試験を受けたのだそうです。そうして、受講したすべての単位を取得したのです。
それだけでも 充分すぎるくらい努力していると思うのですが、栞奈(かんな)さんの もう一つの目標でもあった ”一人暮らし” の夢までも実現させているのですから本当に驚いてしまいますよね。
栞奈(かんな)さんの 決してあきらめない強い思いが、夢の実現へと導ていってくれたのだと思います。
知り合いの人達や行政機関の人達に教えてもらいながら、沢山の手続きも済ませて 去年(2022年3月)から1人暮らしを始めているのです。
1人暮らしを始めてからは、毎日3回 看護師さんやヘルパーさんに介助を受けているのだそうです。
アイスクリームを食べさせてもらったり、洗顔してもらったり、何気ないやりとりから元気をもらい、それが生きがいにもなっているといいます。
栞奈(かんな)さんが、人と一対一で 寄り添えることが出来たのは 、今が初めてなのかもしれませんね。
みんなに届け ”希望の輪”
栞奈(かんな)さんの病気は進行性のため、自発的な呼吸がのちに難しくなると言われています。そのため、喉から直接酸素を取り入れるための手術が必要となっています。
手術をすると、声を失ってしまいます。
だから、一瞬、一瞬を全力で過ごす。栞奈(かんな)さんは、そう心に決めています。
「失う前に自分の『声』を『思い』を聞いてほしい」
オンラインでの座談会を開催することになった栞奈(かんな)さん。全国から参加している さまざまな年代の約180人を前に、画面を通じて語りかけました。
「人を頼ることができるようになってほしいなと、若者に対してはそう思います。それを支えている人たちは、信頼関係を作っていくために、自分の理想を押しつけるのではなくて、支えられる側が望みたいものが何かをきちんと聞いて寄り添い続ける、支援をし続ける。その継続が本当に大切だと思っています。継続して話を聞いてあげることで、ああ私に興味があるんだなとか、私を心配してくれてるんだなと思う、そして安心材料になるかなと私は思います」
本当に、一つ一つ身にしみる言葉だと感じます。
そして、自分と同じように児童養護施設で暮らす子どもたちに向けてのメッセージも送っています。
「大人を信じて頼ってほしいなって思います。私は、本当に自分が信じられる人に相談できることが本当に1番理想かなって思います。聞き続けることが大事だなって思うので、子どもたちに話す、話せる。そういう環境をつくったりとか、大人を頼るってことをしてほしいなって思います」
児童養護施設では、栞奈(かんな)さんのように、原則として 18歳までしか暮らすことができません。(特例は除く)それは、小さな子供たちを優先的に受け入れていくためなので無理のない事だとも思います。
しかし、世の中においての18歳は まだまだ人生経験の少ない年齢なので、精神的に寄り添える ”家”となる場所があったなら、きっと、 栞奈(かんな)さんも心丈夫だったのでは…と、思ってしまいます。
もう少し幅広い視点からでの、里親制度が あればいいな…と、願うばかりです。
今強く 栞奈(かんな)さんが、思う事として…
「病気になって、自分の思いどおりには決してならないこともあったけれど。でも本当に人に恵まれて、誰かが絶対に支えてくれる。そして次に受け渡してくれる。そうやってリレーのような感じで、どんどんつなげてくれているなあと感じています」
本当にそうですよね。そうして、どんどん ”希望の輪” が広まっていったとしたら、きっと 一人でも多くの人達が、助け合い・助けられる のではないでしょうか…。
おわりに
医学は日々、進歩し続けています。栞奈(かんな)さんの病気が、難病でなくなる日がくる事を心からお祈りいたします。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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