はじめに
パリパラリンピックで金メダルを獲得し、車椅子テニス界の新星として世界から注目を集める
小田凱人(おだ・ときと)選手。
私もテレビで彼の試合を観戦して、その圧倒的なプレーに心を奪われた一人です。
しかし、小田選手の活躍が報道されるたびに、インターネット上では「歩けるの?」「ずるいん
じゃないの?」といった声が上がっているのも事実なんです。
一体なぜこのような反応が生まれるのでしょうか。
今回は小田選手の生い立ちから、「歩ける?ずるい!」と言われる理由、そしてネットでの反応と真相について、じっくりとお話ししていきたいと思います。
小田凱人さんってどんな人?プロフィールをご紹介!
まずは小田凱人選手のプロフィールから見ていきましょう。
小田凱人(おだ ときと)選手 プロフィール
基本情報
| 項目 | 詳細 |
|---|---|
| 氏名 | 小田 凱人(おだ ときと) |
| 生年月日 | 2006年5月8日(19歳) |
| 出身地 | 愛知県一宮市 |
| 身長 | 175cm |
| 利き手 | 左 |
| 所属 | 東海理化(株式会社東海理化) |
| 種目 | 車いすテニス(プロ選手) |
学 歴
| 項目 | 学校名 |
|---|---|
| 小学校 | 一宮市立瀬部小学校 |
| 中学校 | 一宮市立西成中学校 |
| 高校 | N高等学校(3年次にパリパラリンピック出場) |
競技開始の経緯
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 9歳時 | 左脚に骨肉腫を発症 |
| 手術内容 | 股関節と大腿骨の一部を切除し人工関節に置換 |
| 以前の競技 | サッカー(プロサッカー選手を目指していた) |
| 競技転向のきっかけ | 2012年ロンドンパラリンピックで国枝慎吾選手のプレーを動画で見て感動 |
| 車いすテニス開始 | 10歳から |
世界ランキング
| カテゴリ | 最高位 | 達成日 |
|---|---|---|
| シングルス | 世界1位 | 2023年6月12日(史上最年少17歳1ヵ月4日) |
| ダブルス | 世界3位 | 2024年3月11日 |
主な戦績・記録
| 年 | 大会・記録 |
|---|---|
| 2020年 | 世界Jr.マスターズ 単複優勝(14歳) |
| 2021年 | 車いすテニスジュニア世界ランキング1位(史上最年少) |
| 2022年 | プロ転向表明 NECマスターズ 史上最年少出場&優勝 |
| 2023年 | 全豪オープン 準優勝 全仏オープン 優勝(史上最年少17歳1ヵ月2日) ウィンブルドン 優勝 |
| 2024年 | 全豪オープン 優勝 全仏オープン 連覇 パリパラリンピック 金メダル(シングルス・史上最年少18歳) パリパラリンピック 銀メダル(ダブルス) |
| 2025年 | 全仏オープン 3連覇 ウィンブルドン 優勝(2年ぶり2度目) 全米オープン 優勝(初) 生涯ゴールデンスラム達成(史上最年少19歳) |
4大大会(グランドスラム)成績
| 大会 | シングルス優勝回数 |
|---|---|
| 全豪オープン | 1回(2024年) |
| 全仏オープン | 3回(2023・2024・2025年) |
| ウィンブルドン | 2回(2023・2025年) |
| 全米オープン | 1回(2025年) |
| 合計 | 7回 |
特筆すべき記録
| 記録 | 詳細 |
|---|---|
| 生涯ゴールデンスラム | 史上3人目、史上最年少(19歳)で達成 (4大大会全制覇+パラリンピック金メダル) |
| グランドスラム最年少優勝 | 17歳1ヵ月2日(2023年全仏) |
| 世界ランキング1位最年少 | 17歳1ヵ月4日 |
| パラリンピック金メダル | シングルス史上最年少(18歳) |
受賞歴
| 年 | 賞 |
|---|---|
| 2021年 | ITF車いすテニス・ジュニア・オブ・ザ・イヤー |
| 2023年 | Forbes 30 UNDER 30 JAPAN(ENTERTAINMENT&SPORTS部門) 日本パラスポーツ賞大賞 中部スポーツ賞正賞 日本プロスポーツ大賞最高新人賞 |
| 2024年 | 紫綬褒章 |
スポンサー契約
| 企業・団体 | 契約開始年 |
|---|---|
| 東海理化 | 2022年 |
| 日本生命保険 | 2023年 |
| ほっともっと | 2024年 |
| Google(Google Pixel) | 2024年 |
私がこうして経歴を見返すだけでも、改めてその凄さに驚かされます。
まだ10代でこれだけの成果を出せるなんて、本当に並大抵の努力ではないですよね。
こちらの画像は、
アジアパラ大会の車いすテニス男子シングルスで優勝した時の小田凱人選手です。
(2023年12月、中国・杭州で)


引用元:https://www.yomiuri.co.jp/yomidr/article/20240905-OYTET50002/ (左 画像)
引用元:https://www.parasapo.tokyo/featured-athletes/oda-tokito (右 画像)
9歳で人生が一変した「骨肉腫」との闘い
小田選手の生い立ちを語る上で欠かせないのが、9歳の時に患った「骨肉腫」という病気です。骨肉腫とは、骨に発生する悪性腫瘍、つまり「がん」の一種なんです。
当時、小田少年はプロサッカー選手になることを本気で夢見ていました。
しかし、左股関節の骨肉腫と診断され、その夢は一瞬にして打ち砕かれることに
なったのです。
私は、9歳という幼い子どもが直面したこの残酷な現実を想像すると、胸が締め付けられる思いになります。
手術では左足の股関節と大腿骨の一部を切除し、人工関節を入れる大手術を受けました。
医師からは「もう走れなくなる」と告げられ、手術の後遺症で左脚の自由を失ったのです。
術後は毎日痛みで泣く日々が続き、1~2カ月は寝たきりの生活だったといいます。
さらに、がんは2度にわたって肺に転移し、命の危機にも直面しました。小田選手自身が「死ぬんじゃないか」と思うほどの数値が出たこともあったそうです。
現在でも4カ月に1度の検査が欠かせない状況が続いています。
それでも小田選手は「うまくいくわけがないのが僕の中で普通」と語り、決してくじけることはありませんでした。
国枝慎吾さんとの出会いが人生を変えた
絶望の淵にあった小田選手に希望の光を与えたのが、車椅子テニスの第一人者である
国枝慎吾選手でした。
こちらの画像は、車椅子テニスの第一人者である 国枝慎吾選手です。

引用元:https://www.instagram.com/p/DH_ExQnM2Vg/?img_index=1
入院中、病院のベッドの上でテレビ越しに観たロンドンパラリンピックの決勝戦。
そこで国枝選手が世界を圧倒する姿を見て、小田少年の心に火がともったのです。
「かっこいい」「迫力というか表情というか、試合中の雰囲気に圧倒された」と小田選手は振り返っています。
私も国枝選手の活躍は何度も拝見してきましたが、その姿は本当にかっこいいんですよね。
小田選手は「次はサッカーのプロではなく、車椅子テニスの世界一に」と新たな夢を抱きました。
「早くテニスがしたい」という一心でリハビリに励み、手術から半年後には一時退院ができるまでに回復。
自宅で車椅子を操り、ラケットを存分に振れるようにまでなったのです。
そして10歳から車椅子テニスを本格的に始めました。
リハビリ中は杖を使って歩く訓練も行い、現在では短距離であれば杖をついて歩くことも可能になっています。
小田選手にとって、杖での歩行は脚力を維持するための大切なリハビリの一環なのです。
史上最速で駆け上がった階段
車椅子テニスの世界に飛び込んだ小田選手は、誰もが驚くスピードで階段を駆け上がっていきました。
14歳でジュニア世界ランキング1位に到達。
15歳でプロ転向を果たします。
そしてわずか17歳で全仏オープン優勝を達成し、史上最年少記録を更新しました。
私はこの快挙をニュースで知った時、本当に信じられない気持ちでいっぱいでした。
2023年10月には、憧れだった国枝選手と楽天オープン決勝で対戦する機会に恵まれます。
試合後、小田選手は涙ながらに国枝選手への感謝を述べました。
「僕がテニスを始めた理由も、国枝選手のロンドンパラリンピックで決勝をやっていたから。戦えたことをうれしく思います」
この言葉には、小田選手のこれまでの努力と国枝選手への深い尊敬の念が込められていると感じます。
小田選手はまた、「自分への神様からの挑戦」「選ばれたと信じて頑張りたい」とも語っています。
病気も障害も強みに変えて、前向きに挑戦し続ける姿勢に、私は本当に心を打たれました。
「歩けるの?ずるい!」と言われる理由とは
さて、ここからが本題です。
小田選手が活躍するたびに、ネット上では「歩けるの?」「ずるいんじゃないの?」という声が上がることがあります。
これには大きな誤解があると考えられます。
実は、車椅子テニスには障害の程度による細かいクラス分けが存在しないのです。
車椅子テニスのクラス分けは基本的に3つです。
下肢に障害のある男子、下肢に障害のある女子、そして下肢だけでなく上肢にも障害のあるクアード(男女混合)の3クラスに分かれています。
小田選手は下肢障害の男子クラスに属していますが、このクラス内では障害の程度による細分化はされていません。
つまり、歩行が全くできない選手も、杖を使えば短距離歩行が可能な選手も、同じクラスで競技するルールになっているのです。
小田選手の場合、左股関節は60度以上屈曲することができず、長距離の歩行は困難です。
しかし、杖を使えば短距離の歩行や起立は可能なんです。
これを見た一部の人が「歩けるなら車椅子に乗らなくてもいいのでは?」「ずるい」と感じてしまうという見方もあります。
でも、これは車椅子テニスのルールや障害の実情を理解していないからこその反応だと考えられます。
車椅子に乗る人への誤解と偏見
実はこうした反応は、小田選手に限ったことではありません。
車椅子ユーザー全般に対して、残念ながら存在する偏見の一つなんです。
「車椅子に乗る人が立ったり歩いたりするとずるいと言われる」というのは、当事者の方々がよく直面する問題だといいます。
あるSNSでは「余りの無知な発言に呆れ果てた」と投稿されている方もいらっしゃいました。
私も調べていく中で、車椅子ユーザーの中には完全に歩行ができない方だけでなく、短距離なら歩ける方、リハビリで立つ訓練をしている方など、様々な状況の方がいることを改めて認識しました。
障害は決して一律ではなく、一人ひとり状況が異なるんですよね。
小田選手も退院したての頃は「車椅子で外に出るのも、杖で街を歩くのも嫌でした。人に見られることに違和感を覚えたし、子どもなりにすごく悩みました」と語っています。
こうした無理解からくる言葉が、どれほど当事者を傷つけるか、私たちは想像力を働かせる必要があると感じます。
ネットでの反応は?応援の声も多数
もちろん、ネット上には「ずるい」といった否定的な声ばかりではありません。
むしろ圧倒的に多いのは、小田選手を応援する温かい声なんです。
「小田選手の努力は本物。歩けるとかずるいとか言う人は無知すぎる」
「コロナ後遺症で左半身麻痺になり歩けなくなりましたが、小田さん見てリハビリ筋トレ頑張り杖で歩ける様になりました!小田さんは自分の希望、憧れです!」
「9歳でがん、車椅子生活になってここまでの選手になるなんて努力の塊」
「小田選手の強気な姿勢も、それを裏付ける実力があるからこそ。かっこいい」
こうしたコメントを見ると、私も本当に嬉しくなります。
特に、小田選手の姿に勇気をもらって自身のリハビリを頑張っているという声には、胸が熱くなりました。
また、2024年12月にM-1グランプリで小田選手がくじ引き担当として登場した際には、コンビ名を「ヨネダ2000」と言うべきところを「ヨシダ2000」と言い間違えてしまうというハプニングがありました。
これに対して小田選手自身がSNSで「ヨコタ2000さん面白かったな」と天丼自虐ネタを投稿し、「センスがすごい」「1番笑った」と大好評を博しました。
こうしたユーモアのセンスも、小田選手の魅力の一つですよね。
真相は「杖をつけば歩けるが、それでも車椅子が必要」
では、改めて真相をまとめてみましょう。
小田凱人選手は左股関節に人工関節が入っており、左脚の自由を失っています。
杖を使えば短距離の歩行や起立は可能ですが、これは脚力維持のためのリハビリの一環です。
長距離の移動や日常生活では、車椅子の方が楽で安全なのです。
車椅子テニスのルール上、下肢障害があれば競技参加資格があり、障害の程度による細かいクラス分けはありません。
つまり、小田選手が車椅子テニスに出場することは全く問題なく、むしろ正当な権利なんです。
「歩ける=障害が軽い=ずるい」という考え方自体が、障害への理解不足から生まれた誤解だと言えるでしょう。
私たちが大切にすべきは、一人ひとりの状況を理解しようとする姿勢だと思います。
小田選手は、何万人に1人という珍しい病気と闘い、命の危機を乗り越え、想像を絶する努力を重ねて世界の頂点に立った選手なんです。
その過程で「選ばれた」と前向きに捉え、努力し続けてきた姿勢こそが、私たちが学ぶべき点ではないでしょうか。
まとめ
小田凱人選手が「歩けるの?ずるい!」と言われる理由は、車椅子テニスのルールや障害の多様性への理解不足から生まれた誤解です。
小田選手は9歳で骨肉腫という命に関わる病気と闘い、左脚の自由を失いながらも、諦めることなく車椅子テニスの世界で頂点を目指してきました。
杖を使えば短距離歩行は可能ですが、それは日々のリハビリの成果であり、車椅子が不要というわけではありません。
ネット上には一部否定的な声もありますが、圧倒的に多いのは小田選手の努力を称賛し、応援する温かい声です。
私は今回この記事を書くにあたって、改めて小田選手の壮絶な人生と努力の軌跡を知ることができました。
そして、障害への理解を深めることの大切さも痛感しました。
小田選手の活躍は、同じように困難と闘う多くの人々に勇気と希望を与えています。
これからも小田凱人選手の挑戦を、正しい理解とともに応援していきたいですね。
おわりに
最後までお読みいただきありがとうございました。


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